2010年10月4日月曜日

10/1(金)公共哲学カフェ

 今回は、8月8日に好評だったので、もう一度平日夜でやってみようかと企画。今回も20名弱の参加者を得ての開催。あまり多くなってもやりにくく、また普段の高崎経済大学での講義と同じ程度であるのはやりやすい。

 前回参加できなかった方々のためにとはいえ、前回の参加者もいるので、まったく同内容にしてしまうとつまらなく、また私自身も即興的な話をする傾向があるので、公共哲学というものを知っていただくための内容はほぼ変えず、議論の内容などを変えて実施。

 今回、議論として取り上げたのは、星新一の「悪への挑戦」という作品。新潮文庫の『白い服の男』に所収のもので、「正義」の問題を考えるのにはもってこいのもの。最近のドラマでは、フジテレビ系列の『JOKER ジョーカー許されざる捜査官』が同じ話題を扱っていた。
 星新一の作品は、公開処刑番組を扱ったものだが、その番組は実はやらせ。視聴者は正義が行われた、またその正義の裁きを自分たちで行ったことの充実感を感じられるとともに、処刑されたはずの囚人は社会から隔離された空間で生き延びる、ある意味みんな幸せでいいじゃないというもの。刑務所所長の「それがどうしていけないんです」という台詞が秀逸。
 
 いわゆる「人を裁くことの難しさ」を語るだけでなく、そこにどのような問題が含まれているのか、裁くことは難しい、正義は相対的とはいっても、現実に裁かなくてはいけないし、正義とは何かを追い求めなくてはならない、それこそが「政治」の営みであるし、そのプロセスにこそ、公共性が実現されるモメントが含まれている。

 サンデルのジャスティス講義の大好評ぶりを歓迎したいと思いつつ、どこか混迷の時代に「正義」という拠り所を求めているような印象を持っていたので、政治哲学はそういうものではない、という解説も含めてまとめてみた。

慌ただしい9月

 例年8月をのんびりしているからか、9月は追われることが多い。とはいえ、この8月はサンデルの翻訳チェックに、先の韓国行き、そして、依頼原稿があったので、前期のレポートの採点を終えて気が付けば9月になっていたような気がする。
 その依頼原稿は、国交省関係の財団法人の機関誌↓から。
http://www.bmmc.or.jp/kikansi1/index.html
「新しい公共」で特集を組むので、その巻頭論文を、とのこと。どうやら、ネットで公開されている公共研究の論文を読んでいただいてのことのようで、大変ありがたく依頼をお引き受けした。内容などはまた発行時に。

 そのほか、9月は11日(土)に東京ムジーククライス合唱団にてモーツァルトのレクイエム(レヴィン版)。翌朝、のぞみ1号にて品川から大阪へ。そのまま大阪で公共哲学京都フォーラム。今回は「儒学が開く公共世界」。儒学の多様な側面が学ぶことができたと思う反面、フォーラム全体としてはやや焦点がぼけてしまった印象も。
 さらに今月は初めの月2回のフォーラム。高崎経済大学の後期最初の講義を休講にして参加した第99回は「共福の思想」。竹内先生の「しあはせ」とは、もともと「為合はす・仕合はす」という動詞からできたもので、本来は、「みずから」の努力によって「うまく合うようにする」という意味の言葉という、「おのずから」と「みずから」の観点からの発表がやはり興味深かった。個々人が感じる幸福という感覚ではなく、他者とともにという観点は興味深いが、これをどう理論化していくかが今後の課題かと思われた。

 そして、このような慌ただしい中、ほぼ一か月で、フィリップ・ペティットのデモクラシー論をまとめる。とはいえ、一からではなく、すでに研究会で発表したものなどを活用しながら。こちらは現在査読中。おおきな問題がなければよいが。

 そして、9月最後の仕事は、カンタータの翻訳。ムジーククライスの来年の公演で歌う、72番と102番の逐語訳を。これは大変ながらも楽しい仕事であった。ほぼ2日で完成。そして、10月1日に高崎経済大学の講義と、公共哲学カフェ。2日は新国立劇場にて《アラベッラ》を。こちrらは以前にも新国立で観ているが、今回の方が舞台もよく見えたこともあってか、このオペラの素晴らしさ、音楽の美しさを堪能できたのは何よりだった。3日はいつもの庭園美術館。香水瓶は男が観に行くものかという気もしないでもないが、関係なく。こちらもポワレがデュフィにデザインさせたものが見つかるなど収穫あり。

 とようやく少し落ち着いて、こうして一か月を振り返られるようになった今日この頃。