まさか、ヒュパティアが映画になるとは、岡野玲子氏の《陰陽師》で知ったときには想像もつかなかった。4世紀、ヘレニズムとヘブライズムの対立・融合を経て中世の暗黒時代を予感させる、アレクサンドリアの変遷をこの映画は描いている
《アレクサンドリア》公式サイト
http://alexandria.gaga.ne.jp/
もちろんヒュパティアについては、彼女の著作などはことごとく失われており、この映画の多くは創作であるが、それにしてもあまりも当時の雰囲気、一つの時代(の変遷)を見事に描いており、感嘆させられる。思わず、2回も劇場に足を運んだが、すでに首都圏で上映館も少なくなり、今日5月1日はちょうど映画の日であるにもかかわらず、恐らく20名に達するかしないかという閑散ぶりは悲しいものがあった。
表面的に見てしまうと、かつてキリスト教徒はなんと酷いことをしたのか、それによってどれほどの知的遺産が失われてしまったか、という感じに終わってしまうが、監督の意図もそこにはない。むしろ歴史の一出来事を史実に忠実に描いているのではなく、歴史に転換期における人間のありようを描いたように感じられる。その描き方がこの映画を一つのドラマとして価値の高いものとしているようにも思われた。
2回目を観て、とくに印象に残った言葉が長官になったオレステスがいった、私たちは変わったと思っていたが、という趣旨のひとこと。結局は人間はなにも変わっていない、争いは終わることがない、というニュアンスを含ませたこのひとことが、監督の実は最も伝えたかったメッセージかもしれないとも思ったほど。
政治学はプラトン、アリストテレスの時代から続く学問であるが、一方で何の進展もない学問、全ての問題は彼らの著作にあるものともいわれる。それは人間が変わらないから、とも言えるであろう。
現代に通じるもの、それは人間のあり様が変わらない以上は、常に繰り返されるものとも言えるかもしれない。
とともに、それでもなお、生き続けるものがある。こうしてヒュパティアが現代に蘇るように、ともいうことができる。その奇跡こそ、この映画の価値かもしれない。
この映画の原題は《AGORA》、すなわち「公共の広場」であるとか。
