2010年12月9日木曜日

千葉眞著『「未完の革命」としての平和憲法』書評 

 もう旧聞に属するものですが、今年の春に千葉眞先生からの依頼で、先生の「 『「未完の革命」としての平和憲法― 立憲主義思想史から考える―』 (岩波書店、2009年)を書かせていただきました。Webでも読めるようですので、お読みいただければ幸いです。


http://www.alter-magazine.jp/backno/backno_75.html#09

2010年11月29日月曜日

12/1(水)公共哲学カフェ―金井淑子さん

●「公共哲学カフェ 11」




【テーマ】:「ケアロジーを創る――人間存在のヴァルネラビリティに根ざしたケアロジ

ーにむけて、知のネットワーク化」



【メインスピーカー】:金井淑子(かない よしこ)さん (立正大学 文学部 哲学科教授)



今回は、公共哲学京都フォーラムにもたびたび参加をされ、公共哲学カフェにも「参加者

」としてご来場いただいている金井淑子さんに、メインスピーカーとして満を持してご登

場いただきます。金井さんは倫理学、フェミニズム・ジェンダー研究がご専門で、今年4

月に横浜国立大学を定年退職され、立正大学に移られました。ご発表のテーマとしては、

その立正大学のブランドヴィジョンである「ケアロジー」を取り上げていただき、これま

でのご自身の研究とのつながり、また公共哲学との関係についてお話しいただきます。

http://www.ris.ac.jp/philo/prof/prof_kanai.html

(立正大学哲学科ホームページ掲載のプロフィール)



【コーディネーター】:宮崎文彦さん (千葉大学国際教育センター特任研究員、京都フォ

ーラム/公共哲学共働研究所共同研究員[公共哲学担当])



【日時】:12月1日(水) 18時30分~21時



【場所】:東京・田町の東京工業大学田町キャンパス内 キャンパス・イノベーションセ

ンター リエゾンコーナー501AB  ※5階までエレベーターでお上がりください。

東京都港区芝浦3-3-6 JR線田町駅下車徒歩1分、都営地下鉄三田線下車徒歩3分

地図→http://www.ccr.chiba-u.jp/access/#05



【会費】:500円(資料代+お茶・お菓子代含む、予約申し込み不要)



【連絡先】(シリーズ『公共哲学』を読む会):スタジオ・フォンテ

 03-5842-7979(tel) 03-5842-7261(fax)

 akahane@studio-fonte.net(090-1208-8159 赤羽)

2010年11月16日火曜日

「新しい公共」における行政の役割

 この夏に仕上げた原稿が活字になりましたが、あまり一般の方々が目にされる
雑誌ではないので、PDFにして公開させていただくことになりました。

 掲載されたのは、財団法人建築保全センター(→ホームページ)の機関誌『Re』
で、特集が「『公』と『民』の多様な役割」ということで、その2番目の巻頭論文に
ご依頼をいただきましたた。

 どうやらこの依頼をしてくださった方は、大学が公開している私の論文を読んで
くださったようで、「新しい公共」における行政の役割についてとぴったりのお題を
いただきました。

 内容は、公共哲学というものについて簡単にまとめ、そのうえで、持論の支援
行政について触れたものです。以下に目次とともにPDFにして公開しております。
4ページですから短いものですので、お時間ございます時にでもご高覧賜れれば
幸いです。

https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B6vr6L8SRPWeOTU3ODI2MDctZDMzMi00NmZlLTkzZGEtZWIyY2U1MmU1MGEy&hl=ja

2010年11月8日月曜日

11・11(木)公共哲学カフェ出前編 <公共哲学×アート>

今回は、「公共哲学」と「アート」の関係について考える試みです。

街頭でのパフォーマンスのような「アートの方法」を通して、パブリックな空間と公共性の可能性を問うという実践的な活動をしてこられたアーティストの山岡佐紀子さんと「公共哲学カフェ」のコラボレーション企画です。これまでとは少し趣きが異なる千代田区のアートスペースでの開催ですから、「出前編」としました。

果たしてどのような「カフェ」となるでしょうか。楽しみです。

今回は会費無料です。参加申し込みの必要もありませんので、ご関心がおありの方はどうぞお気軽にお越しください。これまで参加された方も、今度初めて参加してみようと思われる方も、どちらも歓迎です。ご参加お待ち申し上げております

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●「公共哲学カフェ出前編 <公共哲学×アート>」

【モデレーター】 宮崎文彦さん (千葉大学国際教育センター特任研究員、京都フォーラム/公共哲学共働研究所共同研究員[公共哲学担当])

【コーディネーター】 山岡佐紀子さん (アーティスト 1961年生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業。初めてのパフォーマンスは、シンガポール川にて(1992)。以来、場所の社会的、政治的コンテキストに関心を持つ。欧米、アジアなど20カ国で発表。芸大美術館「パフォーマンスアート!」(2002)、グラスゴーのNational Review of Live Artには招待参加(2007)。アートアクションのヒロイズムを明るく批判する作品『We are Elegant』。銀行ATMで昼寝をする写真と映像の作品、観客参加型ストリートアクションではパブリック空間(あるいは半パブリック)の論理/倫理に亀裂を起こす試み。ギャラリー空間でも同じ。http://sakikoyamaoka.com//)



【日時】 11月11日(木) 18時30分~21時

【場所】 3331 Arts Chiyoda ギャラリーB  http://www.3331.jp/

〒101-0021 東京都千代田区外神田6丁目11-14

東京メトロ銀座線末広町駅4番出口より徒歩1分
東京メトロ千代田線湯島駅6番出口より徒歩3分
JR御徒町駅南口より徒歩7分
JR秋葉原駅電気街口より徒歩8分

※地図はこちら→ http://www.3331.jp/access/

【会費】:無料

【共催】 シリーズ『公共哲学』を読む会(NPO法人準備会)」

【連絡先】(シリーズ『公共哲学』を読む会):スタジオ・フォンテ
03-5842-7979(tel) 03-5842-7261(fax)
akahane@studio-fonte.net(090-1208-8159 赤羽)

2010年11月4日木曜日

吉野作造記念館訪問

結局、前回の投稿からちょうど一か月が経っていました。10月は9月の続きでサンデルの翻訳などなど。主に9月にできなかったことをひとつひとつ片づけていったようなそんな感じでしょうか。

そのなかのひとつが、昨年の南原繁シンポジウムで発表した吉野作造が書籍『南原繁 ナショナリズムとデモクラシー』(電子版にもなっているとか→こちらをどうぞ)に収録され刊行されたので、その献呈がてら古川にある吉野作造記念館を訪問。昨年の発表前に鴨下先生と訪問した際は、その後に猊鼻渓での南原繁生誕120周年展(岩手日報の記事)に行くことになっていたので、展示を一通り観るにとどまりましたが、今回は午後をまるまる費やす形で、3時間にわたり館長とお話をしたり、貴重な資料を拝見しました。特に鈴木範久先生がエッセイにまとめられた吉野が使っていた聖書を拝見することができたことは大変興味深いものでした。

昨年の発表でも今回の書籍でも触れられなかったのが、キリスト者としての吉野。ならびにデモクラシー論との関係。鈴木先生のエッセイにも触れられていたように、デモクラシーとキリスト教の関係を吉野は深く意識していたようですが、『新人』で触れられたほかはあまり明示的に語っていないように思います。特に人間観などにその影響を観ることができるのではないかというのが私の推測で、いずれはきちんとした論考にまとめたいところです。書きたい、あるいは書かなくてはいけない論文のテーマだけはたくさんあるのですが。とりあえずまずは条件が整った博士論文の整理が最重要課題。

この訪問にあわせて、なかなか休養ができないので、一日休みを取って、仙台に宿泊。駅近くの「モンテ・エルマーナ仙台」はモントレの姉妹版(廉価版か?)というだけあって快適なホテル。大浴場もあるのはやはりありがたいものですね。
観光はようやくデジタルに変えた一眼レフを試してみることもあって、雨にも関わらず、秋保(あきう)大滝と磊々(らいらい)峡へ。後者は小宮豊隆の命名によるとか。大滝は滝壺までの路が工事の影響で行くことができなかったのはつくづく残念でしたが、紅葉も進んでおり、なかなか見事なものでした。磊々峡もこちらは多少市街地に近いこともあってか、紅葉はまだでしたが、その自然が生み出した巨大な岩岩が織りなす渓谷の景色には圧倒されました。造形でもやっていたら、創作活動をそこでもう止めたくなるであろうほど、自然の生み出した造形美は何物にも代えがたい価値があることを考えさせられた旅でした。たまには写真も。


2010年10月4日月曜日

10/1(金)公共哲学カフェ

 今回は、8月8日に好評だったので、もう一度平日夜でやってみようかと企画。今回も20名弱の参加者を得ての開催。あまり多くなってもやりにくく、また普段の高崎経済大学での講義と同じ程度であるのはやりやすい。

 前回参加できなかった方々のためにとはいえ、前回の参加者もいるので、まったく同内容にしてしまうとつまらなく、また私自身も即興的な話をする傾向があるので、公共哲学というものを知っていただくための内容はほぼ変えず、議論の内容などを変えて実施。

 今回、議論として取り上げたのは、星新一の「悪への挑戦」という作品。新潮文庫の『白い服の男』に所収のもので、「正義」の問題を考えるのにはもってこいのもの。最近のドラマでは、フジテレビ系列の『JOKER ジョーカー許されざる捜査官』が同じ話題を扱っていた。
 星新一の作品は、公開処刑番組を扱ったものだが、その番組は実はやらせ。視聴者は正義が行われた、またその正義の裁きを自分たちで行ったことの充実感を感じられるとともに、処刑されたはずの囚人は社会から隔離された空間で生き延びる、ある意味みんな幸せでいいじゃないというもの。刑務所所長の「それがどうしていけないんです」という台詞が秀逸。
 
 いわゆる「人を裁くことの難しさ」を語るだけでなく、そこにどのような問題が含まれているのか、裁くことは難しい、正義は相対的とはいっても、現実に裁かなくてはいけないし、正義とは何かを追い求めなくてはならない、それこそが「政治」の営みであるし、そのプロセスにこそ、公共性が実現されるモメントが含まれている。

 サンデルのジャスティス講義の大好評ぶりを歓迎したいと思いつつ、どこか混迷の時代に「正義」という拠り所を求めているような印象を持っていたので、政治哲学はそういうものではない、という解説も含めてまとめてみた。

慌ただしい9月

 例年8月をのんびりしているからか、9月は追われることが多い。とはいえ、この8月はサンデルの翻訳チェックに、先の韓国行き、そして、依頼原稿があったので、前期のレポートの採点を終えて気が付けば9月になっていたような気がする。
 その依頼原稿は、国交省関係の財団法人の機関誌↓から。
http://www.bmmc.or.jp/kikansi1/index.html
「新しい公共」で特集を組むので、その巻頭論文を、とのこと。どうやら、ネットで公開されている公共研究の論文を読んでいただいてのことのようで、大変ありがたく依頼をお引き受けした。内容などはまた発行時に。

 そのほか、9月は11日(土)に東京ムジーククライス合唱団にてモーツァルトのレクイエム(レヴィン版)。翌朝、のぞみ1号にて品川から大阪へ。そのまま大阪で公共哲学京都フォーラム。今回は「儒学が開く公共世界」。儒学の多様な側面が学ぶことができたと思う反面、フォーラム全体としてはやや焦点がぼけてしまった印象も。
 さらに今月は初めの月2回のフォーラム。高崎経済大学の後期最初の講義を休講にして参加した第99回は「共福の思想」。竹内先生の「しあはせ」とは、もともと「為合はす・仕合はす」という動詞からできたもので、本来は、「みずから」の努力によって「うまく合うようにする」という意味の言葉という、「おのずから」と「みずから」の観点からの発表がやはり興味深かった。個々人が感じる幸福という感覚ではなく、他者とともにという観点は興味深いが、これをどう理論化していくかが今後の課題かと思われた。

 そして、このような慌ただしい中、ほぼ一か月で、フィリップ・ペティットのデモクラシー論をまとめる。とはいえ、一からではなく、すでに研究会で発表したものなどを活用しながら。こちらは現在査読中。おおきな問題がなければよいが。

 そして、9月最後の仕事は、カンタータの翻訳。ムジーククライスの来年の公演で歌う、72番と102番の逐語訳を。これは大変ながらも楽しい仕事であった。ほぼ2日で完成。そして、10月1日に高崎経済大学の講義と、公共哲学カフェ。2日は新国立劇場にて《アラベッラ》を。こちrらは以前にも新国立で観ているが、今回の方が舞台もよく見えたこともあってか、このオペラの素晴らしさ、音楽の美しさを堪能できたのは何よりだった。3日はいつもの庭園美術館。香水瓶は男が観に行くものかという気もしないでもないが、関係なく。こちらもポワレがデュフィにデザインさせたものが見つかるなど収穫あり。

 とようやく少し落ち着いて、こうして一か月を振り返られるようになった今日この頃。

2010年8月30日月曜日

ハーバード白熱教室 in Japan

 韓国では5000ウォンに描かれ、李退渓とともに代表的な儒学者として知られる李栗谷(イ・ユルゴク)ゆかりの地を訪れる京都フォーラムの旅から帰国したその日、成田空港から東大へ直行した表題の特別講義。まずは安田講堂を埋め尽くした参加者の数に圧倒された。内容等に関しては、右に出ている公共哲学ネットワークのサイトをご覧いただければ幸いである。これほど、新聞各社がこぞってとりあげたというのも驚きであった。

 もちろん今回の試みは大成功であったであろうし、参加者の満足も高かったであろうと思うが、やはり気になる点はこれがエンターテインメントに止まらないものにどうしていくか、という点であろう。
 
 発言が多かったという点に関して言えば、もちろん当日集まった参加者はもともとこの講義スタイルを知り十分に予習をしてきた人々。手が上がらなければおかしいというべきであろう。また、最近の学生一般に関していえば、発言をしても大丈夫な環境づくりの工夫をすれば、結構積極的に発言をするものと私自身は経験上思っている。彼(女)らにとって、自分の発言が否定される(正解ではないとされる)、そしてそれを嘲笑されることが怖いのであって、発言が恥ずかしいことではないとわかれば、さして彼(女)らの発言を促すことは難しいことではない。

 むしろ問題は、こういった対話型、ソクラテス的手法は時間がかかるという点である。最後の鼎談でもサンデル自身が言及していたように、繰り返し時間をかけて身につけさせていくもので、1回や2回でどうこうなるものではない。
 今回も、特に戦争責任問題に関する発言は活発ではあったが、必ずしも充実したものとはいえず、道徳的責任についての議論を促すサンデルに対して、政治的責任とも道徳的責任とも区別がない感情論も少なからずあり、また他人の発言をきちんと聞いて反応しているであろうか、と思われる場面も多かった。

 議論が活発に行われること自体はいいことであろうが、それをどうやって深めていくか、それは残念ながら大人数での講義では難しい。おそらくは不可能であろう。大学教育におけるそういった地道な小規模での取り組みにも目が向いてもらえれば、ありがたいと思うのは私だけではないと思っている。

 それにしてもいかにも東大が企画してやりました、というような雰囲気があったことにはなんだかなという印象。

2010年8月10日火曜日

公共哲学カフェ好評のうちに終了

 蒸し暑い8日の日曜日の午後、わざわざ20名もの方々が、田町での公共哲学カフェに参加くださいました。大変ありがたいことです。内容は私が考えていた以上に多様な議論が盛り上がり、参加者の方々も大変ご満足いただけたようで何よりでした。

 また9月にでも平日夜に開催したいので、あまり中身の詳細には触れませんが、今回は、私自身が考えていた「公共哲学カフェ」にふさわしいものにしようと思い、できる限りメインスピーカーのプレゼンと、それに対する質疑応答というスタイルを崩すことを目指しました。

 というのも、高崎での授業実践とかかわっています。高崎では「論文の読み方・書き方」なる講義を担当してすでに7年目になりますが、そこでの実践がまさに教員からの一方的な講義ではなく、学生自身に作業や議論をさせ、それをサポートするものです。

 「論文の読み方・書き方」という講義ではありますが、その方法を教えてくれるテキストならばいくらでもがある、とのことから、小手先のテクニックではなく、どのような内容の論文を書くか、どう論理を展開していくのか、を学んでもらうため、「自分の頭で考える」をテーマに講義をしています。

 そのなかでディベートを実施したりもしているのですが、やってきて気づいたのは、学生はただ教員の話を聞いているよりも、なにかしらの作業なり議論をしたほうが充実感ということ。

 もちろん、工夫やサポートが必要ですが、年々、学生自身に何かしら議論をさせる時間を増やしていき、私はできる限り、学生自身の学び、論文の執筆をサポートする役割に回るように
しています。

 このような実践はあまり公共哲学という専門との関係を意識していなかったのですが、金泰昌氏の「公共哲学する」「公共する哲学」に影響を受けたのか、こういった実践も公共哲学に欠かせない側面ではないか、むしろ、こうした実践を通して、一人一人が考える主体となることは、まさに「活私開公」にかなうものではないかと考えるようになりました。

 そこで公共哲学を読む会も、こうした公共哲学の実践の場としての可能性を開けないかと思い、カフェの名称を提案しました。当日は、もちろん私のほうから公共哲学の基本的なポイントを3点にまとめてお話しするなどもしましたが、参加された方々同士の議論もかなりの時間を割いてやりました。

  最初でしたので、いろいろとマネージメントも試行錯誤でしたが、今後はたとえばもう少しテーマを絞ってやるなり、進め方を工夫できればと思います。

 もちろんやり方は複数あるべきで、これまでのメインスピーカーをお呼びして、プレゼンと質疑応答のスタイルも継続していければと思っています。

2010年8月1日日曜日

有元利夫展-東京都庭園美術館

 すでに友の会会員になって久しい東京都庭園美術館。東工大にいたころは、
それこそたびたび研究室から自転車でふらっと行っていたところ。いまでは、
すっかり足を運ぶ回数が減ってしまったが、相変わらずここの企画はいつも
期待以上のものを感じさせてくれる。

 今回の没後25周年の「有元利夫展 天空の音楽」もまったくもって期待以
上のもので、感嘆させられた。

 以前から有元利夫の絵は知っていたはずだが、まとめてきちんと観るのは
今回が初めて。たんなる音楽とのつながり以上に、有元利夫の作品にはどれ
もすっかり心酔してしまった。より正確に言うならば、ここのどの作品とい
うよりも、彼の作品とその作品の飾られた空間に、というべきであろう。
またも、このひとつの美術作品である美術館の空間との「調和」にしてやら
れたとの想いが強い、舟越桂以来だろうか。

 有元の作品にはそれほど私自身は音楽を強くは感じなった。むしろ、そこ
に感じられる、悠久の歴史と空間に魅了されたと言ったほうがいいような
気がする。

 それは、とくにともすればシュールレアリスムの作品のようにしか見え
ない彼の作品を特徴づける、以下の彼自身のことばから気付かされたもの
である。ひさびさに迷わず購入をしたカタログから引用をしたい。

僕が舞台を描くのは
そこが演技する空間だから、
嘘をつく空間だからと
言ってもいいかもしれません。
いっぱい嘘をついて
いっぱい演技をして
様式を抽出すれば
より真実に近づき
本当のリアリティーが
出せると思うのです。

 この言葉を1階の大広間で読み、なるほどだから彼の作品には
「枠」のように幕が描かれることが多いのか、と気づかされた。
ひとつの描かれた虚構であるからこそ感じられる、時間と空間。
それは実にリアリティをもって、私たちに問いかけてくる。ある
いは訴えかけてくる、いやむしろ話しかけてくるぐらいのほうが
適切かもしれない。

 これほど作品との「対話」が豊かにできたことも久々で、充実
した2時間であった。今度は有田正広氏によるミニコンサートも
あるとか。実に楽しみ♪

2010年7月30日金曜日

石田梅岩と公共哲学+公共哲学カフェ@大阪・伊丹

 さて、大阪へ向かってすぐに9時からの公共哲学京都フォーラムへ参加。今回は、一連の「公共する人間」のシリーズで石田梅岩が取り上げられている。公共哲学京都フォーラムは、特にシリーズ「公共哲学」の頃は、本当に様々な分野の先生方が集まっての討議がなされていたが、最近はさらに「東アジア発の公共哲学」に焦点が当てられており、出席者は東洋思想関係が多い。
 とりわけ今回は「東アジア発」という主旨に合う形で、日・中・韓の梅岩研究者が集まっての討議となり、東アジア発の公共哲学の思想資源としての梅岩の意義が様々な角度から検証された。
 梅岩は「商人道」を提唱し、現代においても経営者倫理、あるいはCSRといったさきがけとしての再評価も盛んだが、今回は特に私心を排することと、主体として我を立てることに対する深い認識という点で、金泰昌氏の提唱する「活私開公」と通ずる部分があった点が私には興味深かった。

 さてフォーラムの後は、一日滞在を伸ばして、千葉大の小林正弥ゼミに参加していたというもと学生のコーディネートで、公共哲学カフェ@大阪を伊丹市にあるクロスロード・カフェにて開催しました。12~3名の方にご参加いただき、密度の濃い議論が繰り広げられました。

 東京ではいろいろと先生をお呼びして、というスタイルでやっておりますが、こちらでいきなりそれは難しいので、私がまず簡単な入門的なことから、ということでお話しました。
 比較的軽い気持ちで、こちらから大上段に構えて紹介するというよりは質疑応答に重点をおきながら、話していければと思っていたのですが、公と公共の違い、あるいは街づくりにおける行政との関係など、実体験を踏まえた参加者からのお話はかなり深いもので、もっと専門的に的を絞った議論にしてもよかったかな、と思うものでした。機会があれば、また続けてやらせていただきたいものです。

 東京でも8月8日(日)に私がメインでの会合が開かれます。こちらもできる限り、一方通行でない議論を心がけたいものです。

2010年7月27日火曜日

Willer Express コクーンにて大阪へ

 昨年より毎回の公共哲学京都フォーラムに参加するため、京都・大阪・神戸へとたびたび足を運んでいますが、朝9時からのセミナーに参加するには前日泊ができればいいものの、前日夜に予定がある場合などは厳しいので、京都の場合は当日早朝の新幹線、神戸の場合には飛行機を利用してという場合が多くなります。

 さてでは大阪はとなると、会場が駅から歩いていける距離ではないもので、夜行でというのが最も便利。とはいえ、寝台特急は帰京時はサンライズ瀬戸・出雲があるものの、行きはなし。ということで、夜行バス。でもできる限り、しっかり寝て行きたいとなると多少高くとも、それなりのもので行きたくなります。

 と、JRバスのプレミアムドリームに乗りたいものの、1階のプレミアムシートは3席のみということで、まず取れず、ツアーバスであるWiller Expressを選んでみました。前回はビジネスシートを選んでそれなりに良かったのですが、寝入りばなにSAで休憩で降りたことと、中途半端に幅が広いために、姿勢が決まらず、快適では合ったもののあまり眠れず。

 さてそれに対して、今回は「シェルでプライベート空間を実現」を売りにした「コクーン」なるものが登場。そのちょうど初日の席が残り1席で取れたので、こちらで新宿から向かいました。

http://travel.willer.co.jp/x/bus/dynamic/3/ja/html/pc/bus/premium/c_index.html

 写真などは上記会社のHPなどのとおり。実際にはこんな感じではない!ということはなく。

 実際の乗ってみた感じは、確かに最初は「狭い」と感じたものの、シートを倒してしまうとコクーン=繭のにした価値が感じられる落ち着き。まったく周囲の人間は見えなくなりますし、プライベート空間を実現は誇大広告ではないという印象。

 ただ幅は当然広くなく、寝返りはまず無理。足方向のスペースは広くなく175cmに超えれば、ちょっと窮屈な感じになるかと。エアー枕のようなものはあったほうがいいかもしれません。

 またビジネスシートでは、比較的大きな荷物も足元に置くことができ、フットレストがなくとも荷物の上に足を置いてしまえば、という感じでしたが、今回は明らかに大きな荷物を持ち込むのは無理。ただ、いろいろと足元の靴のスペースであるとか、座席横のスペース、網ポケット、ペットボトルを置く穴のついたデスクなど、ちょこちょことあったらいいと思えるようなものがあるのは、なかなかありがたいもの。

 途中深夜にどこかしらかのSAでトイレ休憩もあったようですが、ほとんど記憶にはないほど熟睡。これはまた利用してもいいかも、と思えました。


 もっとも、新宿の出発場所はいただけず。今回は渋滞とかでどの便も10~20分(20分~かな)の遅れ。待合場所は人があふれ、座れるスペースは少なく。それなりの金額払っているのだから、こういうところも何とかならんのかななどと思いつつの乗車。まあそんな気分で乗ったにも関わらず、バス自体には満足。

 新幹線や飛行機と比べて値段が…というのは当たり前。夜行移動を望み、少しでも快適にいきたいという人向けでしょう。そりゃあ、いくら快適空間でもバスですから揺れますしね。
 
 

2010年7月12日月曜日

8/8(日)「公共哲学カフェ 9 公共哲学─再─入門」開催

●「公共哲学カフェ 9」

【テーマ】:「公共哲学─再─入門」

【メインスピーカー】:宮崎文彦さん
 (千葉大学国際教育センター特任研究員、京都フォーラム/公共哲学共働
研究所共同研究員[公共哲学担当])

※今回は、宮崎さんに、これまでの公共哲学の取り組みにおける基本的なポイ
ントについて語っていただき、あらためて公共「哲学」とは何かについて考え
ていきます。そのうえで「公共」を「哲学する」ということについて、参加者
のイメージや考えと応答する形で議論を拓いていければと思います。

【日時】:8月8日(日) 14時~17時

【場所】:東京・田町の東京工業大学田町キャンパス内 キャンパス・イノベーションセ
ンター リエゾンコーナー501AB  ※5階までエレベーターでお上がりください。

東京都港区芝浦3-3-6 JR線田町駅芝浦口下車徒歩1分、都営地下鉄三田線下車徒歩3分
地図→http://www.titech.ac.jp/about/campus/t_map.html

【会費】:500円(資料代+お茶・お菓子代含む)

【連絡先】(シリーズ『公共哲学』を読む会):スタジオ・フォンテ
 03-5842-7979(tel) 03-5842-7261(fax)
 akahane@studio-fonte.net(090-1208-8159 赤羽)

2010年7月7日水曜日

BUNKAMURAル・シネマ映画2題

 コンサートはだいたいが1日限り、あっても2日程度だとどうしても聴きに行きたいものはきちんとおさせるものの、美術展や映画はいつでもいけるとなかなかいけないもので・・・

 それでも今回はBUNKAMURAのル・シネマで上映されていた2作品は、それぞれ知人から勧められたもので、両方とも観賞。ル・シネマもどれだけ来ていなかっただろうと思いつつ。

 まずは上映期間が短いほうからということで「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い」から。「アマデウス」は名作とはいえ、英語なのがちょっと・・・というのに対して、今回はイタリア=スペイン合作ということで、ちゃんとイタリア語。モーツァルトが激情するとドイツ語というのが、またリアルでよい!?雰囲気というものがあるのでやはり言語は非常に大切かと。

 さてこの映画はあくまでダ・ポンテが中心。モーツァルト贔屓にはちょっとこんなモーツァルトではという感じ。ストーリーもかなり彼が主役として英雄的に描かれていて、やや?な部分もなくはなかったものの、セットや衣装はお見事。風景画との合成はご愛敬。

 冒頭の騎士長の像が船で運ばれている場面(そして、カサノヴァがまさにオペラと同じように「ドン・ジョヴァ~二」と歌うところ)に思わずほくそ笑む、そんな感じの洒落たアラカルト、という印象。

 一方の「オーケストラ!」はさすが、「ドン・ジョヴァンニ」を観に行ったときに確認した混雑ぶりだけあって、よくできた映画。笑いあり、涙ありの見事なドラマ。

 主人公の掃除係にされた天才指揮者がエフゲニー・スヴェトラーノフとかなんとか、そういった現実の話など全く関係なく、あまりに滅茶苦茶なストーリーに「あり得ない」などと目くじらを立てるのでもなく、フィクションを楽しみつつ、ひょっとしてありうるかも、と思わせるネタが満載、アイディアに溢れた映画。

 そして何よりこの映画は、何より愛すべき「音楽バカ」のためのもの。とにかく音楽のためだったらなんでもできるし、なんでもできてしまう。全てが音楽一つで決まり、音楽で世界が変わってしまう人々。

 政治的に見れば、ユダヤ人音楽家を解雇から守ろうとした主人公の姿が・・・などとも語れるかもしれませんが、実際にはそういった政治的背景よりも、この主人公にとってはとにかく音楽が第一、もう音楽のためであればたとえ共産党支配下の政治体制にも反旗を翻す、音楽は政治よりも、などというレベルではもはやない、典型的な音楽バカ。

 その意味では「のだめ」もそうでした。愛すべき音楽バカたちの物語。なんでそれほどまでに、と思いつつもやっぱり自分もそうなので、思わず「音楽バカ万歳!」と快哉を叫びたくなる、そんな映画でした。

2010年6月28日月曜日

無教会聖書講義―マタイ第6章

 京都フォーラムとの関係ができてから、毎月とはいわないまでも度々週末に関西へ(出張ではなく出勤が正確か)行くことが増えたため、今年度ははやめに聖書講義を担当しました。

 無教会自由が丘集会では昨年度から輪読形式になったのですが、今年はマタイを取り上げています。私の担当は第6章。このように自分で選ばずとも、自然とそのとき私が扱うべき問題が与えられるのは、
ありがたいものです。

 というのもこの箇所は「主の祈り」が示されているところです。6年間、カトリックの学校に通っていた身としてはとても「懐かしい」部分です。と同時に、ほとんどまったく内容いかんよりもお題目のように唱えていた日々が思い出されるわけです。もっとも文語調でしたから(われらをこころみにひきたまわざれ、とか)、意味をわかってというのも無理がありましたが。

 今回、改めてこの箇所の聖書講義を担当して読み返すことで、この祈りの言葉の意味というよりは、簡潔であることの意義を改めて学ぶことができたことは何よりの収穫といえたでしょう。

 無教会では通常、お祈りの言葉は自分で紡ぎだしていくのですが、今回はこの主の祈りを、改めて当時読んでいた(暗記していた)文語調でとなえさせていただきました。

 一方で与えられていたテーマは、その祈りの部分というよりはそのあとの「天に宝を積む」部分でしたので、講義自体は内村鑑三聖書注解とNTDを参照させていただき、神と人間との(正しい)関係という観点からまとめさせていただきました。

 というのもこの第6章で気になる表現が「報い」ということば。なにか「罪の報い」のようにネガティブなイメージ、あるいはこれこれをするから助けてなどという取引のようなイメージなのですが、これは神と人間との関係に関わっているというわけです。

 つまりこのような「応報思想」を排除した考え方、つまり報いなど求めないという姿勢はどこか進行のあり方としてよさそうな気もしますが、結局のところ、それは人間自身の自己満足、そうしている行為そのものに価値を置くことになってしまいます。
 また人にこれ見よがしに祈りをささげる姿なども、結局自己満足につながります。つまりは「すでに人間から報いを受けている=賞賛などを受ける」ので、神との関係はなくなってしまっているというわけです。

 だからこそこの第6章では「応報思想」が排除されておらず、それによって神と人間との適切な、正しい関係のあり方をイエスは説こうとしたのだということになるわけです。

 宝を積む、思い悩むそうしたことは神との関係においては意味のないこと、ただ依り頼む「全面的な信頼」の重要性ということで、聖書講義をまとめました。

2010年5月25日火曜日

政治思想学会と行政学会

 いろいろと書いておこうと思うものはありつつも、なかなかまとまった時間がとれず、ついつい、後手に回っていましたが、年度も替わったことですし、ご挨拶を兼ねて。

 この4月からも継続して、千葉大学国際教育センターでお世話になっております。改めて現在の自分の肩書きを並べてみると、

千葉大学国際教育センター特任研究員
高崎経済大学経済学部非常勤講師
京都フォーラム/公共哲学共働研究所共働研究員
大東文化大学国際比較研究所客員研究員

となります。近々もうひとつ、母校の肩書きが増えるかもしれませんが・・・。これほどあっても、有給のポストは上の2つのみ。それでもそれなりの額をもらえている以上、恵まれているのでしょう。

日経ビジネスオンラインでは以下のような記事が・・・。
「講師の『細切れ雇用で、大学は教育できるのか?―非常勤講師40代男性のケース」

さて、先週末に行われた政治思想学会日本行政学会。毎年、同じ5月の第3週のため、今回もはしご。今年は幸い、前者が東大本郷、後者が日大法学部(水道橋)とあって、とっても移動が楽でした。こんなはしごをしているのは自分くらいだろうと思っていたのですが、日本行政学会の調査によれば、他にも両学会に属している先生がいることがわかって、少しうれしかったですね。つきあいでかもしれませんが。

学会はほとんど同窓会というか、交流を深めることがもっとも重要だったりしますが、今回は特に行政学会が60周年とあり、そのシンポジウムは2日間とも興味深いものがありました。特に2日目、いまは同志社におられる今里滋先生が公共学に触れられていたことに感銘を受けました。また京大の真渕先生との論争も興味深かったものの、真渕先生の社会科学たるもの価値に関わる言及はしないという態度は、明らかな「価値自由」に対する誤解だなあと、なかば呆れ、諦めつつ聞いておりました。

両学会において「シティズンシップ」が語られながら、その議論の違いには、まだまだ両者の架橋には程遠いと、自身の課題の重さを感じさせられた学会であったといえましょう。

2010年1月4日月曜日

新年のご挨拶

少々遅ればせながら、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

COE終了後も千葉大学にお世話になる傍ら、金泰昌所長の下、公共哲学共働研究所の共働研究員として、度々韓国へ公共哲学の源泉を学ぶ旅をさせて頂きました。

本年は翻訳2冊の刊行と、何とか博士論文を完成させる予定です。音楽面では、ヨハネ受難曲で一箇所だけのソロを担当。新年はモーツァルトが多くなりそうです。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。








演奏会予定
・東京オラトリエンコール
第17回演奏会 2010年3月7日(日)
晴海トリトンスクエア 第一生命ホール
J.S.バッハ:モテット4番 BWV228
      ミサ A-dur BWV234
W.A.モーツァルト:リタニア    KV.243
現在、プログラム・ノートを執筆中

・東京ムジーククライス
第4回定期 2010年9月11日(土)ミューザ川崎シンフォニーホール
W.A.モーツァルト:レクイエム ニ短調
鈴木優人:委嘱新作