2014年10月26日日曜日

11/3(月・祝)第11回南原繁シンポジウム 「南原繁と平和――現代へのメッセージ」

開催があと1週間余りとなりました。皆様のご来場をお待ちいたしております。
http://nanbara.sakura.ne.jp/simposium2.html
第11回南原繁シンポジウム 「南原繁と平和――現代へのメッセージ」
日 時:2014年11月3日(月・文化の日)13:00 ~ 16:50 〔開場12:30〕
場 所:学士会館 202 号室
(東京都千代田区神田錦町3-28、神保町駅徒歩3分)

参加費:1,000 円 (申込み要)
主 催 : 南原繁研究会 (代表 加藤 節 成蹊大学名誉教授)
後 援 : 岩波書店、学士会、東京大学出版会、公共哲学ネットワーク 
協 賛 : 赤澤記念財団
【プログラム】
❖ 開会 13:00
 朗読 南原繁の文章から 元TBSアナウンサー 宇野淑子
 開会あいさつ 南原繁研究会代表・成蹊大学名誉教授 加藤 節
❖ 第1 部 講演(13:15 ~ 14:15)
 南原繁の平和思想
   ―その特質と今日的意義―
     国際基督教大学教授    千葉 眞
              休 憩
❖ 第2 部 パネル・ディスカッション(14:30 ~ 16:40)
「 南原繁と丸山眞男 ―平和をめぐって―」
◉コーディネーター 東京大学出版会 竹中英俊
▪南原政治哲学における平和論 ―地の国における平和の実現―
 千葉大学法政経学部非常勤講師 宮崎文彦
▪南原繁の「世界秩序」構想 ―戦前・戦中・戦後―
 成蹊大学非常勤講師 川口雄一
▪丸山眞男と「平和の条件」 ―戦後日本における「平和主義」再考―
 名古屋大学大学院研究生 大園 誠
▪南原・ニーバー・丸山 ―平和と正義と強制力との関係をめぐって―
 国際基督教大学研究員 柴田真希都
❖ 閉会あいさつ(16:40) 順天堂大学教授 樋野興夫
※ なおシンポジウム終了後、懇親会(17:00 ~ 18:30)を予定しております。
(定員100 名 会費2,000 円 自由参加・当日申し込み)

社会思想史学会

秋の学会シーズンですが、この週末は社会思想史学会。実は博士課程に進学し、最初に入った学会。そこにアイデンティティを求めているから、ではなく、学部 のとき、清水多吉先生のゼミ生だったからという理由だけですが。というような事情で、さほどまともに学会活動はしていませんが、今日は朝一のセッションか ら参加。午前最初は、カントの共和制論かテイラーかを迷って、前者の発表を聞いてから後者の質疑応答に。
次のセッションは門外漢だなあと思いつつ、明治官僚制のことを知りたかったので、「明治政府による官僚の発言に対する規制について」を聞く。思想家にして 官僚の神田孝平をご専門にされている関西学院・研究員の南森茂太会員の発表は、新聞紙条例・讒謗律の制定が、日本の近代官僚制を形成する契機となったとい う興味深い発表。素朴な疑問として、近代官僚制形成の契機となってた点は興味深いものの、一方で言論弾圧の契機ともなった負の側面もあるのではと質問。こ の制定に深く関与したとされる木戸孝允としては、ある程度の水準を高めようとする意図もあったのではというようなレスポンスをいただく。このあたりの歴史 には全く疎いが、自身でも取り組んでみたいと思う。
午後は田中秀夫編の『野蛮と啓蒙―経済思想史からの接近』の書評会。坂本達哉先生の評が聞きたくてということでもあったが、なによりもう95歳?!になら れた水田洋先生も交えて、中身の濃い議論に圧倒された。最後は上村忠男・宮﨑裕助氏の報告による「社会思想としての批評」のシンポジウム。期待通り、コメ ントの三島憲一先生のウィットにとんだコメントが興味深く。
いやはや、それにしてもそろそろ南原繁ででも題材に発表をしなくては。

2014年10月9日木曜日

グループ・ワーク:ジャーナリズムと政治

さて、先週は24名も集まった千葉大の政治哲学演習Ⅱですが、今週は2名減ったかと思いきや、前期受講で第1回には来られなかった2名が参加で結局は24 名に。グループ・ワークはやりやすくていいんですけれどね…。ということで、今回は先週の新聞記事読み分けをベースに、ジャーナリズムと政治:国家、世 論、デモクラシーをテーマに、グループでの討論と全体での共有。前回の読み分けは大変好評。「中立な報道」に対する疑問を意識づけできた点は、たいへん効 果あったという印象。世論操作ではという話題については、政権側の意向なのか、あるいは実は国民の側も望んでいるのではというような話も。大勢に影響され ることなく、疑問を持つところから自分なりに考えてみるという方向性は、昨年度からの受講生を中心に定着しつつある点をうれしく思っています。

2014年10月1日水曜日

政治哲学演習Ⅱが開講

本日より講義に先立って千葉大の政治哲学演習Ⅱが開講。例年通り後期は減るだろうと見込んでいたら、集まった学生は前期の約1/3が入れ替わり24名。演 習にしては相変わらず多い人数…。初回は何を扱おうか迷いつつ、高崎で連休明け頃にやっている定番の「新聞記事の読み分け」。ちょうど臨時国会が始まり安 倍首相の所信表明演説があったので、この話題を各紙がどう扱っているかを比較検討。扱ったのは読売、毎日、日経、産経、朝日の5紙。ちょっと面白かったの は産経で、短いながらも演説の内容をかなり網羅していてよいものの、地方創生に関して「故郷(ふるさと)を消滅させてはならない」という部分を引用してい るのがらしいかも。そしてリンク先の記事がまさにその通り、と思わせるのが読売。よくまとまっているし、文章も洗練されているが、都合の悪い部分は伝えな いようとしない。今回に限らず、この読み分けをするたびにますますこの傾向が強まっているように感じる。学生には、レポート執筆にしても、複数の情報源で 確認をとることの重要性を強調している。

2014年9月24日水曜日

9/23「新渡戸・南原と現代の教養」

昨日は学士会館において新渡戸・南原賞委員会による「新渡戸・南原と現代の教養」と題するシンポジウムのお手伝い。新渡戸・南原賞は一区切りとのことでのシンポジウム開催でしたが、なかでもやはり湊晶子先生の講演が圧巻…。
 御年82歳にして広島女学院大学の学長を今年度より務められておられるようですが、研究意欲も衰えるどころかますます勢いを増しているほどで、日本のキ リスト教女子教育を支えた「男たち」ということで、新渡戸と砂本貞吉(広島女学院創始者)を取り上げられた。新渡戸、砂本ともに湊先生が学長になられた際 には2代目の女性学長よりも扱いは相当に低かった点を憂慮され、変革に取り組まれた話も印象的でした。
 引用された言葉の中では、新渡戸が『婦人に勧めて』で記した「一個の人間として立派に出来上がった婦人(人格)ならば、妻としては良妻、母としては賢母 になる」として良妻賢母主義を批判した点が特に興味深く。湊先生ご自身が、まさに女性にもかかわらず/であるからこそ、ということではなく、一個の人間と しての確固とした人格をお持ちであるからこそ、あれほどの働きをなされるのであろうと。
 さて次は裏方ではなく、自身が学士会館にて南原繁シンポジウムを。
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2014年8月12日火曜日

8/12 丸山眞男「政治的判断」

丸 山眞男を改めて読む機会があり、ああこんなものがあったっけと面白く読んだのが「政治的判断」(松本礼二編注『政治の世界』岩波文庫)。確認したところ丸 山眞男集の第7巻にも収録されていた。一般向けの講演記録なので、とても読みやすい。そして1958年に行われた講演であるからすでに50年以上も前のも のであるが「なぜか」まったくもって時代を感じさせないのはなぜだろう。外交とリアリズム、「政界」と「政治」、選挙における有権者の選択、政党の公約、 ジャーナリズム、2大政党制、「政界の安定」と「政治的安定」、政治的無関心、多数決など。どこか一か所ご紹介したいと思いつつ、どこかには決め難く。あ えて短く一節だけ。
「万事お上がやってくれるという考え方と、なあにだれがやったって政治は同じものだ、どうせインチキなんだ、という考え方は、実はうらはらなんです。」(370頁)
ちなみに丸山眞男が亡くなったのは、私が大学へ進学して間もなく。あまりにも取り上げられることが多いからか、あえて食わず嫌いを続け、学部生時代には全 く読まず。大学院進学後、福澤諭吉の『文明論の概略』を読む演習で、解釈が非常に丸山的であることを指摘され、それならば読んでみるかとようやく手にし、 ああ確かに…と気づいて以降、かなり集中的に読み漁るように。私の師は丸山の文章は元気が出るよね、と言っていたが、確かにその通り。批判的思考はほとん どストップしてしまうので(ほぼ全面的に同意してしまう…)あまり自身の論文に引用するなどはしませんが。

2014年7月17日木曜日

寺田寅彦「学位について」

訳あってちょっと寺田寅彦の文章を探していたら、こんな文章が。
 寺田寅彦「学位について」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42696_18077.html
昭和9年のもの。「博士」号を巡る状況判断、そして寺田の提言は、今でも通用しそうなところが何とも…。一部引用を付記します。
「学位に関するあらゆる不祥事を無くする唯一の方法は、惜しまず遠慮なく学位を授与することである。一日何人以上はいけないなどという理窟はどこにもな い。百人でも千人でも相当なものであれば残らず博士にすればよい。それほど目出度いことはないのである。そうすれば学位に対する世間の迷信も自然に消滅す ると同時に学位というものの本当の価値が却って正常に認識されるであろうと思われる。
 大学でも卒業した人間なら取ろうと思えばおそらく誰でも取れる学位である。取るまでの辛抱をつづけるかつづけないかの相違で博士と学士の区別が生じる。 それだからこそ恐ろしく頭の悪い博士もあれば、図抜けて頭のいいよく出来るただの学士も捜せばいくらでも居るであろう。本来博士号は一つことを数年根気よ く勉強したという身元保証書の一行である。」

2014年5月22日木曜日

聖書講義「ローマ信徒への手紙第10章5-21節「万人の救い」

 無教会自由が丘集会にて聖書講義を担当するようになって10年以上が経ちますが、先日、ついにやってしまいました。当日になって自分が担当であったことに気づく…ということを。
当日の朝に、なんとなくそうなのではないかと思いつつ、行ってみたところがその通り。致し方ないので、中学高校時代に使っていた訳注付きのフランシスコ会の新約聖書をとりに自宅に戻り、そちらも参照しながら、講義を進めました。
 
 こちらのフランシスコ会訳との違いで大変興味深かったのは、今回の担当個所直前にある10章4節。ここが新共同訳では「キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために」となっているのが、フランシスコ会訳では「キリストは律法を終わらせました。それで、信じる者は皆、正しい者とされるのです」となっている。恐らく「目標」「終わらせた」と訳されている言葉は、ギリシャ語の「Τέλος(Telos)」であろう。もちろん、このパウロの言い方は、マタイ福音書の山上の垂訓にある律法についての部分「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(5章17節、新共同訳)を踏まえてのこと。しかしながら一方で、目標、目的でもあり終わりでもあるテロスということばが含意するギリシア哲学の影響も感じられる。私たちはイエス・キリストによって「すでに」救われているが「いまだ」キリストの再臨には接していない、中間時に生きる存在である(カール・バルト)、との理解との結びつきを感じた。
  担当個所については特に17節1「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(新共同訳)に着目。信仰は人間の側からの主体的な働きかけ(たとえば新告白、祈り、信仰に忠実であることを示すような行為)から始まるのではなく、神の側からの呼びかけ、人間の選びに始まり、それを私たちは受動的に受け容れることで信仰に入ることができる、というお話を。感話会では、その講義をもとに、非キリスト者への働きかけ、伝道などについて話し合いを。

 当日、伝道について私自身はさほど発言しませんでしたが 、政治学という学問にも携わる人間としては南原繁のあり方が理想かと。キリスト者であることを前面に出すわけではなく、自らの世俗の職務において「自然と」キリスト者としてのあり方が出てくる、そのようなあり方を目指したいものです。

アリストテレス

例年、功利主義から始める「政治哲学演習」、今年はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から。1回だけ、第1巻のみの扱いですが、政治の目指すべきものとは何か?、倫理学と政治学の関係、法と道徳、倫理、政治的無関心、現実と理想、幸福と快楽など、1回だけでもこれだけ政治哲学のテーマが凝縮されていて、議論もとっても楽しい!!!政治学の原点はやはりアリストテレスと改めて。
政治に関することはすべてアリストテレスが論じているし、そして人間が変わらない以上、現代までアリストテレスから何も進歩していないのが政治学とも

千葉大基礎ゼミ

さて千葉大の授業の方は、今年度は講義と連動のゼミのほか、1年生を対象とした「基礎ゼミ」も担当。
専門の方は今年度も30名近くの学生が集まり、なんとか部屋に入りきるという感じ。2週目は一部火曜ゼミに移ってもらったりしたこともあり、やや少なくなったもののそれでも20名強。ただ、非常に熱心な学生が多く、議論は盛り上がっている。
基礎ゼミも同様で、こちらは男女ちょうど半々。おそらく法政経学部全体ではそれほど女子学生は多くないはずですが。
ちなみに両ゼミとも、まずは議論(対話)の練習ということで取り上げた話題は、STAP細胞をめぐる問題。学生の関心は思った以上に高く、発言する学生も多く、質が高い。1年生はグループディスカッションを経てから発言してもらったが、高学年の専門の学生たちよりもより活気があったのはとても頼もしい。
なかなか安定する身分でなく研究者を続けるというのは、いろいろと大変ですが、一方的な講義ではない、学生との交流があるのは、私自身にとっても楽しいことで、実は対話型講義を一番歓迎して楽しんでいるのは教員の方かもしれない。

『コミュニタリアニズムの世界』書評

4月26日号の図書新聞に『コミュニタリアニズムの世界』に対する橋本努氏(北海道大学教授)の書評が掲載されました。実に丹念に読んでいただき大変ありがたい書評です。

またこうした論文集の場合は、主要著者の論文のみに言及されることも少なくないのですが、今回は最後にではありますが「共和主義の諸研究・諸理論を周到に整理した宮崎文彦論文」としてご紹介いただき、「公民的美徳が共通善の政治に果たす役割の観点から、コミュニタリアニズムの思想資源を豊かに再構成している」と言及いただきました。

いやいや、私の共和主義研究など、まだまだ書籍にできる段階ではないだろうと思うなか、このようにご紹介いただくのはお恥ずかしい限りです。

2014年4月1日火曜日

映画《ハンナ・アーレント》

 かなり今更ながら、ようやく映画《ハンナ・アーレント》を観に行く。上映中の下高井戸のシネマは、126席の小規模なものの、整理券配布というのでそれほど混むのかと思っていましたが、まさにその通り。補助席まで数多く用意され超満員の状況。それほどまでにこの映画の評判はすさまじい印象。
 さて内容について、いろいろと考えるものがあるものの、2点だけ。一つは思考の停止、のみならず「思考の放棄」こそが最も問題であること、そしてそれはこの映画を受動的に鑑賞する私たちにとって非常に重要な問題であること。あるいはその生き方を讃えられるような、英雄的な描かれ方で見られたとしたら、アーレント自身はそれをどう思ったであろうかと。
 そしてもう1点は、自分自身が何ものかを問われていたように感じられたこと。自分が何ものたり得るのか、何ものたらんとしているのか、世界とどうかかわっていくのか。新年度にはちょうどいい機会であったかもしれない。


2014年3月30日日曜日

川上洋平『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界』書評会

昨日29日は慶應義塾大学での研究会。著者からいただいていた本の書評会。川上洋平氏の『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界――革命・戦争・主権に対するメタポリティークの実践の軌跡』(創文社)である。

フランス革命期の反革命思想家として知られるジョゼフ・ド・メーストルといっても、一般には知られていないであろうし、私もほとんど全くと言ってよいほど 知らない思想家であったが、川上氏の本書は時代状況によって変化するド・メーストルの思想の根幹を明らかにし、自身のことばで語るものであり、私にとってはとても読みやすく、ほとんど一気に読み通した。自身が政治思想を専門としたのであれば、こういう本が書ければと思うほど、素晴らしい著述だったと感じられた。

コメンテーターはトクヴィルを専門とされる高山裕二氏。同世代研究者ということで、率直な議論が交わされた点が大変好ましく、また的確なコメントに私自身 も乗らせていただき、不可知論ならびに保守主義という点についての若干のコメント。3時間半に及ぶ会はあっという間であった。

ちなみに、読みやすいと言ってもらえたのは初めてですとのこと。恐らく私自身のキリスト教理解と、ド・メーストルの神義論(なぜ神によって創造されたこの 世界に「悪」が存在するのか)に対する態度などに共感するものがあったかからとも思われますが。いずれにせよ、西洋思想を学ぶにあたり、神学を多少なりと もかじっていることは大いに役立っているようです。

『コミュニタリアニズムの世界』刊行記念シンポジウム

遅ればせながら、先日のシンポジウムのご報告。幸い、出足は鈍かった参加者も30~40名にはなり、盛会と相成りました。もちろん内容的にも、日本におけるリバタリアンの代表論者である森村進氏をお呼びしたのは正解で、密度の濃いものとなりました。内容は早ければ今秋発刊の『公共研究』に掲載されるものとなると思います。

自身についていえば、身内の不幸があり、翌日が通夜という状況のため、司会は共著者の一人である木下さんにお任せし、裏方へ。とはいえ、森村氏から私の執筆箇所についてのコメントもいただいたので、レスポンスでは前に立たせていただきました。もっともクリティカルな点はやはりペティットの「非支配としての自由」は、結局のところ「消極的自由」だからさして目新しいものではないのでは、という以前にも指摘された点。

この点に、「非干渉としての自由」は「干渉」という一回一回の「行為」についてであるが、「非支配としての自由」は行為としての干渉はなくとも、例えば(偉い先生とか)権威によって行動が制約されている「状態」について述べたものであり、そこから展開された「異議申し立て」に着目するデモクラシー論と相まって意義がある、と応答。この点は、そのあとで森村氏からもわざわざ取り上げていただき、説得力があったと応答いただくことができ、ありがたく思った次第です。

2014年2月26日水曜日

3/8(土)『コミュニタリアニズムの世界』刊行記念シンポジウム開催

3/8(土)『コミュニタリアニズムの世界』刊行記念シンポジウム開催

日 時:2014年3月8日(土) 13:30~17:00(13:15開場)
場 所:キャンパスイノベーションセンター東京(田町)1階 国際会議室
(JR山手線・京浜東北線田町駅 芝浦口すぐ)

参加費:無 料
定 員:定員100名(申し込み制)

申し込み方法:以下の公共哲学ネットワークのサイトからお願いします。
http://public-philosophy.net/archives/1198


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