補完性の原理が新自由主義のイデオロギー???
COEのホームページでも告知いたしますが、6月12日(月)の対話研究会で、補完性(subsidiarity)の原理に関する発表を行う予定です。ようやく行政系の発表。 その準備を現在進めるなかで様々な文献をいろいろと目を通しているのですが、今日、地元の図書館(行政系の図書は大学より入手しやすい?!)より借りてきた安達智則著『自治体「構造改革」批判―「NPM」改革から市民の自治体へ」旬報社はかなり問題が多い。正直こんな本を2,500円+税を払わされて読まされてはたまらない。 確かに現在特に国レベルで進められている「構造改革」なるものの新自由主義的傾向は、無責任な政府を作り出し、個々人に責任を押し付ける危険性を持っており、「官から民へ」というスローガンも、政府の介入を少なくするというよりは、責任を回避する狙いがあることは否めないであろう。同時にNPMも、同じ流れで利用されてしまう危険性があること点も指摘することはできるかもしれない。 しかしながら「補完性の原理」まで同じ流れで理解するというのはいかがなものだろう。確かに新自由主義的傾向に回収される危険性がまったくない、とは言い切れないだろう。自己責任を強調し、政府(中央にしろ地方にしろ)の責任を問わなくてしてしまう危険性には注意が必要である。 しかしながら氏の論調は、所詮「補完性の原理」なるものは、ヨーロッパからの輸入品、それもヨーロッパにおいても政治的文脈で使われているだけなどという、きわめて噴飯ものな内容。通常まっさきにとりあげられるピオ11世の回勅には全く触れず、その意味内容を明らかにはしようとせずに、新自由主義のイデオロギーにすぎないというのは、あまりにいい加減な議論で、産湯と共に赤子まで流すようなもの。批判をするならば、本来こういう意味であるのが誤ってつかれていることを指摘すればいいこと。こんな言説がまかり通っては恐ろしい。「補完性の原理」こそ、市民による自治の思想を表現しているものはない。

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