2009年8月15日土曜日

2006/09/15のBlog

丸山眞男後の政治学

日記をつけるべくBlogをやっているわけではないので、どうしても書き残しておきたいことがあっても、その時間が十分にとることができないと、更新が滞ってしまいます。このところ懸案だったことは、高崎の担当者会議+合宿。さらに来春刊行予定の行政学テキストの執筆のための研究会。なかなか落ち着いて論文に取り組むということができていないのは何とも。 というようなこともあり、ようやく手にした苅部直氏の『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書)を読む。本書に対する評価は賛否両論の部分もあるが、現在入手できるかぎりにおいて幅広い、多くの資料を用いて、同時代的「等身大の」丸山眞男を描こうとする姿勢はやはり他書にはない試みとして、高く評価されるべきであろう。 もちろん、新書であるが故の限界もところどころに感じるが、少なくとも筆者の目指した「丸山眞男という稀有な知性がのこした言葉の群れのなかへわいって、そのなかをさまよう途上で見つけた、珠玉や棒きれや落とし穴を、できるかぎり克明に記し、それぞれと出あった驚きを、読んでくれる方々とともにすること」(「あとがき」より)は、十分果たされているものと思われる。丸山入門書として最適というよりは、すでに丸山の思想を知る人へのさらなる丸山理解に向けてのガイドとしての価値の方が高いように思われる。丸山が生きた時代の雰囲気、空気、そしてそれらに対する丸山の思考と苦悩を共にすることができることは、ありがたい。少なくとも丸山の思想を知る上での入門書ではないだろう。  丸山眞男が亡くなってから今年で10年になるという。その前々年である1994年、私が早稲田に入学した年には藤原保信が亡くなっている。二人の政治学における知の巨人の死は、やはり一つの時代が終ったことの象徴だったであろうし、当時学部生だった私にとっては「その後」を模索していかなければならない、というような気概があったように思える。 とはいえ、とくに丸山の場合には当時、相当に話題になっていたことから、なぜそれほどまでにというほど徹底的に避けていた。早稲田の政経も、どちらかといえば実証系が精力的には強く(いまではますますという印象)、大学院進学も、政治学者になろうという意識などなく、東工大へ。そこでたまたま「日本人の日本人論」をテーマに、福澤の『文明論之概略』を細川周平(現:国際日本文化研究センター教授)と読む中で、自分の読みが、かなり丸山のそれに近いことを指摘されたことをよく覚えている。ようやく博士課程へ進学して、小林正弥氏との出会いもあってから、ようやく正面から丸山の著作に目を通すようになった。そうしてなぜ今まで目を通さなかったのかと後悔するほど、その内容に深く感銘を受けるとともに、自分のやりたい研究がここにあり、それからあえて目をそらし、避けてきたことを自覚した。丸山にはそういった、一種の愛憎があり、今回、苅部氏の著作を読むことで、「等身大の」丸山眞男の思考と人生の軌跡をたどることができたことは、喜びであると同時に、様々に考えさせられるものであった。 数少ない駒場での政治学の講義を聴いた師匠は、丸山に関してひとつだけ、意外と小さい人だなあと感じたことが印象として残っていると述べておられた。それだけ、彼の発言は大物としてのそれであり、丸山の本来持っている以上の影響力を持っていたことの証左ではないかとも思われた。

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